ザ・サーチ グーグルが世界を変えた


ザ・サーチ グーグルが世界を変えた
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Googleのサクセスストーリでもあるんだけど、検索技術の過去と未来についても言及されていて、とても面白かった。

IT革命は産業革命以来の大変革と言われているけど、今までは「へー、そういうものなのかな?」と、ちょっと懐疑的な受け止め方だった。電話とかテレビの延長程度のモノじゃないの・・・と。

でも、あらゆるモノがインターネットにつながり、検索することでアクセスできるようになった今、「僕らは人類の転換点の真っ只中にいるのかも!」と感じている。仕事や働き方はこれからどんどん変わっていくだろうし、大げさかもしれないけど、人間の知性のあり方も変わるんじゃないかなと思う。

「ウェブ人間論」という本で、梅田 望夫と作家の平野 啓一郎が、「何を頭の中に持ち、何を外部に持つか」というテーマについて対談していた。これは僕も気になっていることなんすよね。

携帯電話やモバイル端末で、いつでも、どこからでもネットワーク上の膨大な情報にアクセスでき、しかも、優れた検索技術により求めている情報が瞬時に引き出せるとしたら、頭の中に情報を持つ必要があるのだろうか。記憶すること、勉強することってどういう意味をもつのだろう?と。

岩波新書の「ウェブ社会をどう生きるか」には、「知性とは、さまざまな情報を統合して総合的に判断し問題解決を行えること」というようなことが書いてあった。大切なのは場や人との関係を把握できる能力だと。これは、齋藤孝の言う「文脈力」ってことなのかな。

でも、Googleの検索結果って、リンク状態なんかのいろいろな関係性を解析することで、的確な結果を返してるんですよね。Googleニュースにしても、いろいろな関係性や重要度を考慮して、引っ張ってくる記事やレイアウトを決めてるはず。検索技術って、それ自体がすでにひとつの知性なんじゃないかと思う。

単なる情報だけじゃなく、知性までも頭の外に置ける、というか借りてこれる時代に僕たちは生きているのかもしれない。それでも、ドラッカーのいう「反復により習慣とすること」の重要性が薄れることはないんじゃないかなと、漠然と思います。

たぶん、知識を記憶として頭に溜めることが重要なのではなく、反射神経に変える(無意識のレベルに落とし込む)ことが重要で、それはインターネットやコンピューターでは代用できないのだろうなと。